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会長挨拶

この度、農業経済学科同窓会長という大役を仰せつかりました農経一期の大澤宏一と申します。私が、当時、酪農学科単学科で、大学開学2年目の酪農学園大学に入学したのは、昭和36年(1961年)の事。小さい頃から、慣れ親しんでいた顕微鏡を覗きたい一心で大学に入ったのですが、開学2年目の大学に、今でこそ笑い話ですが、何と顕微鏡の設備がなく、「うーん!」と唸ったのを覚えています。中学、高校と、クラブ活動は放送部だったので、「顕微鏡がないのなら、放送局に入ってアナウンサーになりたいな」と、漠然とした思いを抱いたのは、入学して半年もした頃でした。大学の図書館から「アナウンス読本」を借りては、裏の原始林で発声練習をしたり、通学のバスの中から見える移りゆく景色を実況中継の練習台にしたのも、この頃からでした。

 私が三年目の学生になろうとした時、大学に2つ目の学科・農業経済学科が出来ることになり、「希望者は移っても良い」というので、私は、アナウンサーになるため、経済の勉強をしたいと思い、農経に転学科し、集まった30名の学生共々、農経一期がスタートしました。

 そして、この農経で私は、良き理解者に遭遇したのです。今は亡き岩元典一先生です。 「アナンサーになりたい」という私の話を聴いて、先生は最初、びっくりされたようですが、その後、「よし、分かった」と頷いて下さいました。また、こうもおっしゃいました。「お前は、酪農学園大学の異端児だ。でも、本当にアナウンサーを志すのなら、先生は応援する」・・・と。岩元先生や学生仲間の応援を得て、私は、大学四年の夏、幸いにもSTVの入社試験に合格し、卒業と同時にアナウンサーとしてSTVに入社する事になりました。その時、岩元先生は、また、おっしゃいました。「お前は、卒業に必要な単位は、すでに取り終えているから、明日から、もう大学に来なくてよろしい。明日からは、毎日、STVに行って、放送の勉強をしなさい」・・・。良き時代、良き先生でした。以来、STVに勤務する事、34年余り、今でも、他の事ができない私は、北広島エフエム放送の放送局長を務めたり、札幌のFM局でしゃべったりしています。酪農学園大学が開学してから50年、少子化などを筆頭に大学は様々な問題を抱えていると思います。でも、私は、同窓会を余り、難しく考えていません。同じキャンパスに学んだ同士が、当時を懐かしんだり、同じ話題を共有できる楽しい場でありたいと考えています。勿論、私の学生時代、岩元典一先生が、私の応援団でいて下さったと同じように、今度は、私ども卒業生が、酪農学園大学の応援団でいたいと思っています。

農業経済学科同窓会長
大澤 宏一(1期)